7月号
館長 竹本義明
今年の夏は猛暑の毎日が続いている。その中で第4回春の音楽祭への取り組みが始まった。前回の2008年度が3日間で32公演を実現させたが、今回は2日間の休館日を挟んで13日間で盛りだくさんのコンサートを計画している。公演のメインは、合唱構成の「ぞうれっしゃがやってきた」、「熱帯ジャズ楽団」、そして「名古屋フィルハーモニー交響楽団」の演奏会である。全館を音楽祭のために開放し、輝きホール、響きホール、練習室での演奏会に36の演奏を募集し、オープンスペースでは16単位の演奏者を募集する。それらの開催に当たっては事前にコンサートマネジメント講座を実施し、実際にマネジメントを行って頂くよう体制を準備している。
今回は、音楽祭の目標である知多半島音楽祭に繋げられるよう、知多5市5町への働きかけを行い協力依頼することとなる。地域との連携を実現し、多くの市民・町民が参加できるような枠組みを実現し、知多半島全体が文化的な地域作りができるようにすることである。会館としては限られた予算と人材で、いかに会館を活性化するかが重要と考え、今回からコンサートマネジメント~企画から運営まで~として、住民主体の文化のまちづくりを目指し、自由にコンサートを開いて頂く事とした。この試みは、第5回目に向けた音楽祭を知多半島全域に広げる第1歩で、地域連携の重要性を実現させたい。
さて、音楽祭についてあらためて考えさせられることがあった。知人から1958年大阪で行なわれた国際フェスティンバルのプログラムを頂いた。戦後日本で初めて行われた大掛かりな音楽祭で、大阪フェスティバルホール他四天王寺、歌舞伎座を会場として実施されたものである。同ホールは2008年50年の歴史に幕を下ろし、2013年に新フェスティバルホールとして再スタートをする予定である。プログラムは5百円で当時の大学卒初任給が1万2千円の時代にあって現在の7千円程度の価値がある。
それよりも驚いたのは、洋楽と邦楽の公演が音楽祭の中で行われたことである。今でこそ国際音楽祭と言えば、洋楽のみで開催されることからすれば、日本の文化芸術が洋楽と対等に扱われ、歌舞伎や能、筝曲に加え団伊玖磨のオペラが上演されている。いつ頃から音楽祭は洋楽一辺倒となったのだろう。実は1978年にCBC国際音楽祭がスタートするが、演奏会のチケットを大幅に引き上げたことで知られている。当時は地元のオーケストラを参加させ、名古屋市民会館のオープンもあり、一挙に中部圏の音楽環境が注目を浴びた年でもあった。当然多目的ホールでの公演であったが、洋楽による演奏会、音楽祭が増加するにしたがって多目的ホールは無目的ということが言われるようになった。
しかし、1958年当時の大阪国際フェスティバルにおいては、大阪フェスティバルホールが果たした役割は大変大きなものがある。専用ホールを望む声が高まる中で、洋楽と邦楽が同時に公演するには多目的ホールは都合の良い施設である。