2022年 3月号 「音楽演奏と指示代名詞」
最近、人とコミュニケーションを取る中で、「これ」「それ」「あれ」という指示代名詞が多くなってきたように感じている。同年齢の方に聞くと、高齢になると言葉が出てこない、思い出せない、ということが頻繁に起こるようになるようだ。
医療制度上、平成20(2008)年から65歳から74歳を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者としているが、このような範囲の高齢者が、人の名前や物を置いた場所、何を食べたかが思い出せず、物覚えが悪くなった気がすると言っている。
認知症や病気でなく、言語能力の加齢変化による範囲の現象ととらえた場合、あまり気にする必要がないかも知れない。
私自身、若いころから指示代名詞を多用してきた覚えがある。音楽演奏をする時、アンサンブルの中で他の奏者とのコミュニケーションにおいて、戸惑うことがあった。曲を完成させる練習の中で、不具合があると「そこを、あれより速く」と言うと、「そこ」が分からず、「速く」がメトロノームの表示を求めるメンバーがいた。
音楽演奏に従事する人は、感性が発達していて、「そこ」がどこであるか、「速く」がどの程度であるか理解するが、音楽経験の浅い奏者や音楽大学での授業経験のない奏者が、言葉の上で指示代名詞以外の具体的表現を求めることがあった。
後にアマチュアのオーケストラや吹奏楽団の指導をした折、具体的な表現をしないと理解してもらえないことを多く経験した。
もともと強弱記号は音量を表すが、厳密にいえばある範囲の強さを表し、微調整は奏者に委ねられていると考えてよいだろう。速度標語では、モデラート(moderato)は中ぐらいの速さ(♩=76~96)を表し、マーチテンポは歩いて演奏する行進の速度(♩=120)で、いずれも想定しやすい速さである。
その他の速度標語は、アンサンブルするときの全体の流れに従うことが大切である。音楽演奏において、表現は感情を表す言葉でそのまま使用できるが、曲の速さや音量については、幅があるので感性が必要である。
指示代名詞は、具体的な言葉が思い出せない場合、取合えず出る言葉であるが、音楽演奏に限って言えば、できるだけ短い言葉で感性に訴える表現が効果的である。理性的で詳細を表すような表現では、焦点が曖昧になり、集中力や創造性が失われ、期待した演奏効果が得られないようだ。
したがって、音楽演奏の場面では、意識して指示代名詞を使用している、と考えたほうがよいだろうと勝手に思っている。