2024年 11月号 「私の音楽人生 ~中学校・高等学校~」
竹本義明
館長便りも残すところ5号となった。18年間館長を務め、会館に関わる事項について執筆してきたが、残りは私自身の音楽人生について書くこととする。生まれは北海道函館市で、高等学校卒業まで暮らし大学進学に伴い上京した。
卒業と同時に名古屋フィルハーモニー交響楽団に入団、17年間楽団員として活躍し、その後名古屋芸術大学で教員として勤務した。今年度3月末に退職し、現在は地域での社会文化活動を行っている。
私の専門はトランペット演奏ですが、中学校入学と同時に吹奏楽クラブに入り、高等学校まで吹奏楽を続けた。吹奏楽部は、文系音楽クラブでありながら集団での活動となることから、体育会系の意識が求められ、それが現在でも自身の行動に影響している。
入部してトランペットを演奏することになったのは、先生から走るのが速いか質問があり、歯並びを見られて楽器を決められた。私は特に希望もなかったので、それに従ってトランペットを吹くことになった。
中学校の吹奏楽部は、北海道内でもレベルの高い団体として知られ、充実した運営をしていた。学年による上下関係が厳しく、先輩から常に基礎練習であるロングトーン(音を安定させるため一つの音を長く吹く練習)を指導された。
これが結果としてトランペットを続けることにつながり、今でも感謝している。高校生になり、迷わず吹奏楽部に入部した。伝統ある高校では、中学校時代の演奏技術習得にとどまらず、音楽の内容について深く掘り下げる取り組みが充実していた。
当時、卒業生の先輩が国立音楽大学の教員をしており、折に触れ指導に来て最先端の情報を伝えてくれたのが大いに刺激となった。2年生になり、将来の進路を考える時期となったが、特に希望が固まっていなかった。
同級生の中に5人程度が音楽系大学を目指していることが分かり、私も音楽を目指そうと考えるようになり、情報交換をしたところ専攻楽器の他にピアノとソルフェージュ(楽譜を読むことを中心とした基礎訓練)が必要なことを知らされた。
急いで同級生が通う先生に指導をお願いし、ピアノとソルフェージュを学んだ。ソルフェージュは聴音には苦労したが、新曲視唱は問題なく学ぶことができた。ピアノは高校2年生から始め、バイエルを素早く終えソナチネ、ツエルニー30番を習得した。
音楽大学進学を決めたとき、ピアノの課題曲がツエルニー30番が指定されていたので、かろうじて間に合った。漠然と音楽大学に進学出来たら将来は地元に帰り、音楽の教諭になろうと考えるようになった。
次号では、音楽大学での学生時代について。