5月号 公共文化施設のたまり場としての役割
館長 竹本義明
「たまり場」とは、仲間がいつも寄り集まって出入りしている場所・店のことを言うが、議論を交わし、飲食をともにする場所でもある。実演にたずさわる人間にとって、仕事に関わる緊張を和らげるために必要不可欠な場所である、と同時に新たな発想が生まれる場でもある。コーヒーや煙草を楽しみ、歴史的には、文芸、美術そして音楽の各分野の芸術家が集まる場所として、数々の有名なコーヒー・ハウスがたまり場の機能を持って存在していた。
そもそもコーヒーは、16世紀初頭にアフリカや近東諸国で飲まれていたが。17世紀後半にトルコ経由でヨーロッパ各地に普及し、18世紀には、男性の社交場としてコーヒー・ハウスが出現し、コーヒーが飲まれるようになった。やがて敏感な若者や、情報を求める紳士たちの交流の場として機能するようになり、パリのコーヒー・ハウスは、新進気鋭の芸術家のたまり場として機能し、イギリスのコーヒー・ハウスは新聞や雑誌を読める場所として、大いに繁盛したと言われている。
コーヒー・ハウスでは、そこに集う人々の身分の平等性が保たれたが、男性のみの入場が認められた場所であることへの女性からの不満と同時に、上流階級からの階級の差別化を望む声により、新たにサロンやクラブというものが必要とされるようになった。その後18世紀以降は、劇場が多くの市民の娯楽場所として機能し芸術の大衆化が進む一方、貴族や上流階級の望む公演が行われ、事業が二極分化するようになり現在に至っていると考えている。
コーヒーと音楽は密接な関係にあり、音楽喫茶などが繁盛していたが、以外にもコーヒーを主題とした音楽は少ない。その中でも有名なのは、J.S.バッハの作品にコーヒー・カンタータ(1732年)という曲があるが、女性がコーヒーを飲むべきでないという風潮の中、それに反発する女性の声を代弁し、ドイツでのコーヒー騒動を風刺したのがこの作品であり、「おしゃべりをやめてお静かに」という曲名であった。
コーヒーは気分を高揚させ、神経を集中させる効果があることから、創作活動にかかわる芸術家などにとっては、コーヒー・ハウスは欠かすことの出来ない場所として存在していたと考えられる。いまや、公共文化施設であるホールが、地域の住民のたまり場として、その機能を備えることが必要であると考えている。ホールの利用者は勿論のこと、特に目的が無くともホールを訪ねて気軽にコーヒーやお茶を飲むことができ、日常とは異なる空間を感じられる場として存在したい。
社会体制が変化しても、人間の行動や精神的営みに基本的な変化はなく、特に会館として若者や男性の年配者の来館が少なく、地域文化・生活文化の振興のために、文化サポートネットワークの拠点として充実を高めるために、たまり場を標榜し地域共同体での交流を進めてゆくことが必要である。